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英語で書く中国人作家Ha Jin (哈金) の長編小説 "A free life"の中に、こんな一幕がある。
博士号を取ることを諦め別の道を歩くことを決めた主人公ナンとその奥さんピンピンが、アメリカ人の知人を家に招いたとき、その知人に「中国の生活はアメリカの生活とどう違うか」と聞かれた。ピンピンはいかに普通の人が住んでいる部屋が狭いかについて語る。するとそのアメリカ人の知人は「あれま。じゃあ私の家には中国人100人住めるわね」と言ったとき、ピンピンはすかさず反論した。
「そんなことはありません」とピンピンは真っ赤になりながら言った。「ナンの実家は寝室が四つある邸宅です。そして私の弟は三つの大きい部屋がある家に家族と住んでいますわ。」
(A free life, chapter 10)
中国人同士で中国の悪口を言うのは一向に構わない。しかし外部の人間がさりげなく言った一言でも、それが彼らにとって侮辱だと取れたら、彼らは決して耐えられないということとは、古くからの中国の伝統らしい。
なぜそう思ったかというと、井波律子の『中国人の機知 「世説新語」を中心として』(中公新書)に似たような場面が紹介されていたから。『世説新語』にはこんな場面があるそうだ。
王安豊の妻は常に安豊を「あんた」(卿)と呼んだ。安豊がいった。
――妻が夫をあんたと呼ぶのは不敬である。これからやめなさい。
妻はこたえた。
――あんたに親しみ、あんたを愛しているから、あんたをあんたと呼ぶのです。私があんたをあんたと呼ばなければ、誰があんたをあんたと呼べばいいのでしょう。
井波さんも「この反撥力はたいしたものである」と述べている。
いまの中国人、特に女性も、こういうところがあって、その時折見せる強さ、これがいいんですよ。
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