2014年12月6日土曜日

“V在了N” って正しいの?

今天很残酷,明天更残酷,后天很美好。但是绝大多数人死在了明天晚上,只有真正的英雄才能见到后天的太阳。 (马云)

ここで、“绝大多数人死在了明天晚上”とあって、“死在了”という言い方に、意味は分かるけれど、語法的にどういうことなんだろうと考え込んでしまいました。

“在”の直後についていることに違和感を覚えたわけです。つまり動作の完了を表す“了”は動詞の後に置くことになっている(目的語がある場合はその前)、ということは“在”は動詞なの?

この“V在了N”という用法は、占勇(2009)によると、現代漢語における一種の新しい語法形式であり、1920年~1930年代にかけてはほとんど用例がなかった。初出であろうと思われるのが郭沫若の《女神》という詩集に収められている《沙上的脚印》(1921)とのこと:
太阳照在我后方,把我全身的影儿投在了左边的海里 (郭沫若,《沙上的脚印》) 
もともと“在”は先秦時代から使われているもっとも古く重要な動詞です。のちにどんどん意味が派生していって、今は動詞としての用法のほか、形容詞、介詞と言うふうに広い場面で使われています。詳しくは辞書の記載に譲ります。意味の派生の果てに、付着成分として、言ってみればおまけみたいな使われ方も出てくるようです。

で、なぜ“V在了N”という言い方が出来てきたかということですが、これたとえば “坐在椅子上”というような句にいつからか話者の解釈の変化が起こったとする説があります。

伝統的には“坐 / 在椅子上"と切りますが、これを ”坐在 / 椅子上“と切るほうがよいのではないかという意見があります(朱德熙)。そうすると、“坐在”を一つの動詞として捉えるようになり(現代中国語は多くの単語が二音節になってゆくという顕著な傾向があります)、その流れで“V在”の後ろに“了”を付けても不自然ではなくなったというとなんとなく納得できますが、いかがでしょうか。

参考:
占勇 (2009), “V在了N”格式形成原因的语法化分析






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