結果補語とは

2015年12月14日月曜日

文法 補語

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結果補語は、動作や状態の結果を表します。たとえば、“这个菜我都吃腻了”(「この料理はもう食べ飽きた」)の場合、“”が動作、“”が結果補語にあたります。「食べる」という動作があり、その結果「飽きる」。または、“吃饱了”(「満腹になる」)なら、「食べる」という動作があり、その結果「お腹いっぱいになる」。

動作をすると、とうぜん動作の主体または動作の客体に変化が起こるわけで、その変化や結果を表す補語が結果補語です。これはとても中国語に特徴的な文法項目で、日本語の動詞の感覚ではつい付け忘れる傾向があります。たとえば、「宿題やった?」「やった」という会話は、日本語では何の問題もなく成立しますが、中国語だと、やってどうなったか、まで表さないと意味が伝わりません:

“功课做完了吗” ——“做了”(「やった」けどやり終わったかどうかわからない。ちょっと手をつけてるだけかもしれない)
“功课做完了吗”——“做完了”(「やり終わった」。宿題をやって、その結果やり終わった)
“功课做完了吗”——“做哭了”(「やった」けどその結果、難しすぎて泣いちゃったか、泣いちゃいそう)

わたしが常に参照している《实用现代汉语语法》(刘月华等,商务印书馆)にはこのように書かれています:
「中国語において、ある動作または状態によって引き起こす(または引き起こされつつある)、具体的な結果を表す時、結果補語を用いなければならない」
在汉语中,当叙述由于一个动作或状态引起(或将引起)某种具体结果是,就应该用结果补语。”(p. 534)

動作や状態によりある結果が生まれる場合、「結果補語を用いなければならない」ということは、中国語の動詞には、その動作そのものしか表さず、結果までは関与しないということです。“吃”だけでは、食べること一般のみ表すので、そこに結果補語などの補語で意味を限定させます。

「医師たちはがんばって仕事をしている。かれらはきっと彼を助けるだろう」の中で「助ける」は、危険な状態から救助するという意味まで含みます。しかし中国語では、救う結果、どうなるかまで表す必要があります。なので、

医生们拼命地工作,他们一定会救他。
なら、救うこと一般のみしか表せていないので不自然です。この文で問題なっているのは救おうとしてどうなったかですから。

医生们拼命地工作,他们一定会救活他。
だと、救った結果、一命をとりとめたというところまで伝えられます。

補語(結果補語、方向補語、可能補語、状態補語、数量補語)は現代中国語の一大特徴というか、これをある程度学べば一気に表現の幅が拡がります。

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