2017年8月27日日曜日

迷人

     迷人的时刻总是转瞬即过,痛苦的时刻总是分秒难捱。但这只是事情的一个方面,事情的另一个方面是,迷人的时刻无限漫长,因为它总是被经历者反复地回忆,并在回忆的过程中不断地添油加醋,使之丰富,使之膨胀,使之复杂,使之成为一个进去了就难以出来的迷宫。痛苦的时刻因为痛苦,经历者就像躲避瘟疫一样躲避着它,即使不慎相遇,也尽力地想法逃脱,实在逃脱不了也尽量地淡化之,简化之,遗忘之,最后使之成为一团模糊的轻烟,一口气就能吹跑。这样,我对那个夜晚的流连忘返的描述就找到了根据。我舍不得往前走。                                                                                                                        
(莫言《四十一炮》)

 (訳)魅惑的なときは一瞬で過ぎ去るものですし、苦しいときはすごく長く感じられるものです。でも、これは物事の一側面に過ぎんのです。別の側面から見れば、魅惑的なときはどこまでも引き伸ばすことができる。というのも、ひとはなんどもなんどもそれを思い出しますから。しかも思い出せば思い出すほどに、それに好きなだけ尾ひれを付けて、彩り豊かにして、膨らまして、複雑にして、もうそこから抜けられなくなるほど複雑な迷宮のようなものにしてしまいます。苦しいときのことは、それが苦しいものなので人は疫病かなんかのようにそれを忌み嫌うものです。そういう場面に遭遇してしまったら、逃げ出すために必死にあれこれ算段を練ります。たとえ逃げ切れないにしても、できるだけそれを薄めて、簡単にして、忘れようとして、最後にはそれをぼんやりした軽い煙のようなものにまでして、ふっとひと吹きで消してしまおうというわけです。そんなわけで、返す返すも名残惜しいあの夜のことについて話してもいいってことになります。おれはその記憶をおいたまま先に行ってしまうのが惜しいんです。


なぜ、中国語の“迷”が、「迷う」という日本語と似た意味以外にも、熱中するとか、魅力的とかという意味を持つのか。莫言のこの考察によると、そのような感覚や記憶のなかにいつまでもいたい、そこから抜け出せなくてもいい、という思いがあるからなのかねえ。


楽しい思い出だけ大事に何度も反復していたらいい。あるいは、そういうものを作って、そういうことが起こったと信じたっていい。そして嫌な記憶は、一团模糊的轻烟” にして吹き飛ばしてしまおう。莫言なみの「パネえ」想像力を駆使して。



       

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