山穷水尽 shān qióng shuǐ jìn:「窮地に陥る」「途方に暮れる」
構造: 山穷 + 水尽 の連合型
類義語: 日暮途穷 rì mù tú qióng
“山穷”の“穷”(窮)は、「最後のところまで行き着く」
“日暮途穷” の “穷” も同じで、「日が暮れ道が尽きてしまった」
例)研究到了山穷水尽的地步,叶文洁决定放弃了(刘慈欣《三体》)
この成語は陸游《游山西村》の
“山重水复疑无路,柳暗花明又一村”
に由来しています。
その意味は、(詩人が気分転換に野外を歩いていて)険しい山が重なり、川の水は曲がりくねっていてもうこの先は行き止まりかと思えたが、忽然と現前にきれいな村が現れた、といったところでしょうか。
この中の“柳暗花明” liǔ àn huā míng は陸游以前から慣用的に使われている言葉だったらしく「柳の葉が生い茂って暗く、咲き誇る花が明るい」といった感じで、きれいな春の風景です。
ここの“山重水复”から“山穷水尽”が生まれ、「窮地に陥る」とか「にっちもさっちもいかなくなった」という意味で使われるようになります。成語が有名になったので、陸游の原文も“山穷水尽疑无路”と表したりすることもあります。
“山穷水尽”だけとりだして、「窮地に陥る」というのは簡単ですね。でも原文の本質はもちろん後半にあるわけです。希望が絶たれたかに思われる状況にあっても、陸游はあるき続け、風光明媚な小さな村にたどり着くのです。
さっき引用した《三体》の一文も、じつはそれで終わりではなく、その後まもなく、寒い資料室でかじかむ手に息をかけながら温めつつ(“她呵呵冻僵的手”)、天体物理学雑誌の最新号を読み、そこに載っていたある論文に大いに啓発されます。
0 件のコメント:
コメントを投稿